医療保険の始まりはいつから?歴史について

2024.03.03 更新
医療保険はいつ始まった?なぜ始まった?
すべての人が加入する決まりになっている「医療保険」。しかし、医療保険制度が始まったころは全員が加入する仕組みではありませんでした。では、なぜ現在のように国民のすべてが加入するような仕組みになったのか。また、なぜ医療保険制度が必要になったのか。いつから始まったのか。この記事では医療保険制度の始まり(歴史)について簡単に説明していきます。
※ここで説明する医療保険は「公的医療保険」のことです。
※学生向けの教科書(保険など)については税金や保険を学ぼうを参照。

1922年に健康保険が始まる。

1914年~1918年に起こった第一次世界大戦。この戦争の影響を受け、日本の工業はとても盛り上がり、急速に発展していきました。

それと同時に労働者たちの不満が目立ちはじめました
※工業が発展しても労働者の生活の安定をないがしろにしていては社会が不安定になってしまいます。


すると、戦争後の不況もあいまって、労働者の健康と生活の安定をもとめる運動がたくさん起こり始めたのです。この運動がきっかけとなり、1922年に健康保険法がつくられました。

※ロシアで大規模な運動(労働者による革命)が起こったことを危機と感じ、日本政府は「労働者の健康と生活を安定させることで革命を阻止し、日本の産業のさらなる成長をはかる」ため、1922年に健康保険法がつくられたのです。


しかし、健康保険法の対象は都市で働くひとたちであり、国民の数からすると加入者はそれほど多くありませんでした。では次に、国民健康保険が始まった理由について下記で説明していきます。

1938年に国民健康保険が始まる

1929年に起こった世界大恐慌からの回復のために新しい政策をとると、軍事関係の工業がさらなる成長をみせるのですが、農産物をあつかう仕事は減っていきました。

当時、日本の半数は農家であったためこの影響をもろに受け、農民の生活が不安定になり、貧困と病気に苦しむ状態になっていました。

「病気になる→貧困に苦しむ」という問題が発生したのです。


また、日本は戦争のために健康な国民を必要としていました。軍事関係の工業が発展しても国民が病気と貧困で衰弱していては戦争には勝てません。

このような背景があり、1938年に国民健康保険法ができたのです。

国民健康保険は農民が主な対象でしたが、このときはまだ今のような強制加入の仕組みではなく任意保険でした。

1961年に国民皆保険こくみんかいほけんが達成される。

当初、国民健康保険は強制的に加入させる保険にするつもりだったのですが、このときはまだ任意保険でした。


しかし、農民の生活の安定のためであれ、戦争のためであれ、どちらの効果も高めるには国民健康保険を強制保険にする必要がありました。


それから国保法が1942年に改正され、組合員資格のある者は強制加入が適用されました。


それからも運営が組合から市町村に変更されるなどを経て、健康保険と国民健康保険の加入者は徐々に拡大していき、1961年に国民皆保険こくみんかいほけんが達成されることとなったのです。

高度経済成長で医療費をまかなう

国民皆保険こくみんかいほけんといっても最初は現在のような医療保険制度のレベルではありませんでした。

国保は医療費が5割負担だったり、保険外の医療もたくさんあったり、「保険医療じゃ十分な治療ができない」という理由で診療を断っていたお医者さんもいたそうです。


しかし、国民皆保険制度のおかげで全ての国民に医療が保障されました。

医療費が増加したが…
医療費の増加を高度経済成長が手助け

全ての国民に医療が普及した結果、医療費はものすごい勢いで増加し、それをまかなうために保険料が上がりました。
しかし、当時の日本は高度成長の時代だったので国民の所得もどんどん増えていきました。したがって、あまり負担を感じずに医療費をまかなえたのです。

学生向けの教科書(保険など)については税金や保険を学ぼうを参照。


ここまで説明したように、日本の医療保険制度は高度成長とともに発展していきました。

現在、高齢者の割合が増えており、医療費に充てる財源の増加がもろに私達の家計にダメージを与えています。
※ほかにも介護費用も増加しています。現在、75歳以上の医療費負担の引き上げが議論されています。
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※参考文献:横山和彦, 田多英範, 日本社会保障の歴史, 1991年
※参考文献:池上直己, 日本の医療と介護, 2017年